こんなはずじゃ

「こんなハズじゃなかった」という前に。


ほめられてのびるタイプだと思う。
だからこそ、辱められたことは決して忘れずなトコあるし。
学校の授業や試験の結果なんて、
人生の進めかたとは全然関係ないことだと知っていた。
いつからかは覚えてないけど。
ちょっと人よりましにデキると
(親以外の)大人はほめてくれて、
それはある程度自信とプライドになる。
(自信がついてそれが増えていくと、
 時間をかけて固まってプライドへと結晶化していく)
でも残念ながら、
学校の教科や勉強の結果についてほめられても、
それは人生の自信にはならなくて別物で、
うまく進められない人間関係や要領・間の悪さ…
そういうものが、自信のなさへとつながっていく。
(自信のなさが積み重なると、
 時間とともに結晶化して卑屈さや根性になる)
結局、世間に飛び出した後で、
自分をさらに高めて行くために
第一に必要なのは自信で、次に経験値、
三番目には試行錯誤する創意工夫かなと思う。
ときどき、培った根性も役立つけど、
あまり歓迎や感心されなかったりする。
サブ的な要素としては、
謙遜やプライド、個性みたいなものもあるけど、
それはあくまでも、
差別化や円滑な関係性構築のための
潤滑油みたいなものなんだろう。


わたしは「こんなはずじゃなかった」と思うことがあまりない。
そういう発想自体と縁が薄いというか。
それはたぶん、大学の友だちが指摘するように、
先(近未来)を予測しないからだと思う。
こうしたらこう言われてああなるはず、とか
ああ言ったらこうなってこうなるでしょう、とか
あんまり考えて行動してはいないみたいだ。
予測しないから期待外れでがっかりもしない。
でももちろん期待はするし、
三歩先は無理でも一歩半前くらいは予測する。
それで予測や期待が外れた時も、
ちょっとがっかりはするけど、
別にアテが外れたとは思わなくて
むしろ「そっか、こうくるか…予想外」
みたいな気持ちの方がしっくりくる。


なんていうか、ある意味楽観的というか
無鉄砲というか流れに流されるタイプというか・・・


でも同時に、
後悔はどんなことにもつきまとってくるものだけど、
だからこそその形こそは自分で選びたい!
みたいな想いが結構強くあって、
そこにはずっとこだわってきていると思う。
そしてそれが、「こんなはずじゃなかった」
と思わずに済んでいる原因かもしれないなあ
と、幾人かの人と話をした中でぼんやりと思った。


大体「こんなはずじゃなかった」と
口に出したり思っていたりする人の醸す空気は好きじゃない。
「こんなはず」じゃないものになってしまった理由を
他人のせいにしているような気がする、、
なんて言ったら言い過ぎかもしれないけれど。
自分は悪くない卑屈さ、みたいなものが
透けて見えるような気がしてしまうんだと思う。



・・・とまあ、
そんなことをフラフラと思っていたのだけれど、
さすがにやはり、もう師走、というのは、
「こんなはずじゃなかった・・・」と
思わざるを得ない予想外の時の流れの速きことよ。
今年も残すところわずか一ヶ月。
やりのこしたことも多々あるけど、
まずは手近なところから手をつけることにしようかね。