迷える子羊と私?

自分を消費する。
摩耗されて削り取られていくような感じ。
…いっぽう、
自分を研ぎ澄ます。
磨かれて純度が高くなっていくような感じ、というのもある。
ふたつは似てるようで似ていない。
第三に、
自分を鍛練する。
確かに質が上がって経験を自分のものにできている、
プラスに達成されていく感じ。




結局のところ、仕事だけでなく、人間関係に関しても、習い事などの習得系だって、すべて同じことがいえる。ずっとずっと継続しなければいけないのは、よりよい方向へと変わっていくこと。変化しつづけていくこと。
でも思うのは「一番目だけかもしれない」と、ふと思ってしまったら、…精確には気づいてしまったら、まちがった場所にいるのかもしれない、ちがう場所にいくべきなのかもしれない、ということ。
…いや、どうだろう。「一番目だけかもしれない」と思ってしまうほどの、自分の精神状態を疑うべきかもしれない。もし他人がおなじことを言っていたら、何弱音吐いちゃってんの、もうちょっとがんばんなよ!と、内心がっかりしながらも、無根拠に励ますことだろう(こないだもそうだったし)。自分事としてひとごとを考えるのは難しい…という話ではなくて。ほんとうのところはどうなのだろう。精神が正しいのか、状況に追いつかないだけなのか。
…たぶん、その時に信じられるのは、不純じゃない自分の魂の声だけなのだろうね。もちろん前兆という助けもあるだろうけど。とかく人の心は不純で怠惰で自分が傷つくことを恐れるから、守りに入った心じゃなくて、無垢で掻き消されそうにか細い、魂のあやぎを信じたい。…そんな話なのだと思う。