雨と他生のエトセトラ

小雨の中を「通り雨」をくちずさみながら早歩く。
老成したロマンチスト青年である桜井さんは
良い歌詞書くなぁ、、とか。
生まれた瞬間から〜のくだりとか、
甘えるのがいやなのにさみしがりや〜とか、
歩きながら苦笑いしちゃうよ。


今週はなんだかよく思考がフローする。
オーバーヒートしないからいいんだけど、
ある程度、夜はアルコールを入れたほうが
楽ちんな感じになってしまう。
夜しらふで考えると、
もんもん悪い方向へ堕ちていきがちだけど、
みんなで論争しながらとか飲んでると、
考えた気になってもどうせ忘れちゃうし、
寝る前の時間が貴重になるから
バッドスパイラルに陥らなくて済むのダ。
…でも飲みすぎにも注意するのダ。


こないだ買ったレインブーツが
ネットショッピングだったから、
ビミョーにサイズが大きくてかっぽかっぽする。
歩きにくいほどではないし、
雨の日しか履かないからいいんだ。
それに、ちょっと子どものころみたいで楽しい。
買ってもらったばっかの長靴は大抵、
「すぐ大きくなるから」って、
ちょっとおっきめだったりして。
でも実は買ったばっかがいちばんうれしいから、
足にちょうどよくなったころにはもう
ほとんど履かなくなっていたりするんだけど。


なるたけ自分を主張したり、空気を無視したり、
みたいなことは避けて、
つねにいろいろ丸く収まるように努力してきたけど、
そんなこともうどうでもいい、と過ぎる瞬間が増えた。
それがいいことなのか悪いことなのかは、
きっと時間が経って、
過去になってみてからじゃないとわからない。
でもときどき、
いままでどおりの方向にしか
がんばれない自分にイライラする。


女の子は生まれたときは女の子じゃなくて
ただのむにむにした生物。
でもあっというまに2、3歳くらいで女の子になって、
大人になるまでには
女の子になったりならなかったり、を
TPOにあわせて自由に入れ替えられるようになる。
自由自在だったはずの入れ替えは、
早い人だと二十代後半くらいからだんだん、
女の子じゃないほうが顕れてる時間が長くなって、
女の子でいつづけるためには
なにか努力みたいな力が、
必要になったことに気づきはじめる。
でも結局おばあちゃんになる頃には、まわりにも
おじいちゃんかおばあちゃんしかいなくなって、
そのどちらかでつねにいることが
苦痛でなくて普通になる。
いやがおうでも。
だから女の子は、
生まれたときと朽ちるときはどちらも、
女の子、ではない!




…なんだかどうでもよさげなことがすごく気にかかる。
これはダウナーシーズンに入る前兆?
他人の評する自分こそが、
不服であろうとなかろうと、
客観的に見られた本当の自分にちがいないんだよね。
その評した他人が、他のことに下す評価は
わたしの価値観とはまったく相容れなくても、
そんなもの、なんだよね。きっと。