つぶやきについて

今年二度目の風邪。
気温と気圧の激差にヤラれてます。
 
 
最近よく「ツイッターはやらないの?」と聞かれる。
楽しいのも新鮮なのも気軽なのもユースフルなのも
よーくわかるんだけど。
わたしはここのエントリーは
基本携帯で打ってるんだけど、
ひとつのエントリーをね、
一回の移動時間じゃ打ちきれないわけですよ。
携帯開いてる時間がいちばん長いのって電車の中で、
(歩きながら打ってると人にぶつかってあぶないしね)
その中でも通勤時間が大抵どんな移動時間より長くて、
その往復どっちかの時間まるまるかけてるというのに、
打ち終わらないわけですよ、1エントリー。
だいたいからしてまず、
(↑この言い回しからしても)一文が長い。
だから、140文字で打ち終わろうと思ったら、
最初から言いたいコトはまとまってないと困るし、
余計な装飾は省いて要点だけに絞ることになる。
 
 
前者はなかなか難しくて、
書くという行為の最中に連想ゲームみたく
書きたいことの枝葉が広がっていくことを
わたしは大切にしていたいし、
後者は確かに職業スキル的にも
自分に必要なことなのだろうけど、
なんのために装飾を省くかというと、
いったん削ぎ落として、もう一度芯に沿ったものを継ぎ足し直すためだと
思っているようなわたしには、
そんな過程の途中ではだかんぼみたいな文章は
恥ずかしくて出したくないというのもある。
あともうひとつは、
「そんな小難しいことじゃなくて
 単純にいまどこで何してるかくらいを
 さらっとつぶやきゃいんじゃん」と自分でも思うんだが、
それをした時に、誰からも反応がなきゃすごく落ち込むだろうし、
あまりに良い反応が返ってきても
…こわっ!とか思ってしまいそうな自分がいることですね。
さみしがりやだけど、
現実的じゃないつながりの併せ持つ
ウソや希薄さの部分には敏感なんです。
いくらさみしくてもそこはゆずれねー
って部分があるっていうかね。
 
 
新しいことや変化には飛びつきたいけど、
(ミーハーは楽しい)
ツイッターiPhoneにまだなかなか
手を出せていないのはそういうわけ。
…え?iPhoneについてなんて一言も触れてないし。
それについてはまた機を改めてつぶやきたく存じます。
だってもうすぐ電車着いちゃうもんねー。