人に説いてる場合か

誰かと話すとなんでか説教くさくなる今日この頃。
そんなださい自分がいやすぎて、
なんでなんだか考えてみた。
 
 
その前に待ちかねていた
the O.C.の3rdシーズンが届いたので、
先に知ってしまった結末の展開に
どきどき予想しながらも楽しく鑑賞する。
 
 
かさばらない安いエコパケで買ってるから、
ファイナルシーズンが出るのは先っぽいけど、
とりあえず観終えて脱力。
わかってても「まじかーぁ…」な気分。
なんだかおんなじこと繰り返してるだけなのに、
その繰り返しでしか進んでいけない危うい感じが
まさに十代なんだよねって思うけど、
それってホントに大事なトコと隣り合わせなのね…と
珍しく虚しくなった。
ちなみにヴェロニカ・マーズは買わないよ。 
 
 
 
もとい。
わたしが説教食らわしたいのは自分自身。
見てないふりしてなかったふりして、
ふふんて顔してやり過ごしてることに
全然納得がいっていやしない。
だから鏡(他人)の中に
映し出された自分に対して説いてるのね。
他人を使って自己矯正なんてまじさいてえ。
胸くそよろしくないったらありゃしない。
 
 
変化を求めるならば受け身で待っていてはいけない。
常に未来は見えなくても
いまできる最善の努力を怠ってはいけない。
自分の心に嘘をついてはいけない。
逃げとか受け身とか諦めとか
癖になりやすいものを受け入れてはいけない。
あたまとこころを頑なに凍らせてはいけない。
目を輝かせて
好奇心の種を追いかけることを止めてはいけない。
 
 
そういう自分に言い聞かせるべき大切なことを
いくつもいくつも列挙してチアアップして
がむしゃらに進む勇気をかきたててるだけ。
 
 
昔はヨカッタ。
はやく大人になりたいって
便利な言葉に集約してればよかったから。
懐かしんでるんでなく、
後悔してるんでもなく、
だれかにぶつけることでしか
自分を叱咤激励できなくなってることが
汚らしく許しがたい。
いつだって戻ってこなきゃいけないのは
自分自身のなか、心のなかでしかないのに。
なりたくなかった大人の姿に
近づいていってるなんてホントにたまらなくなる。
 
 
自分のストーリーを自分の現実としてだれかと共有したくて、
そういう形と在り方をいまも求めてる。
懐かしすぎるプレイリストには
そういうものをちゃんと思い出させてくれる
歌詞やメロディーが連なっている。
凹むんじゃなく卑下するんじゃなく、
ちゃんとしていたい。
当たり前のことを当たり前として慈しんで大切にしていくために
ずっと望んでいたこと。ずっと目指していたこと。
そういうことをまだ思い出せる場所にあってよかった。