俯瞰に感情考察

すごく腹立たしいと感じることの殆どは、突き詰めると“かなしみ”なんだと思う。
恰好つけたいとか見栄とかじゃなくて、そう思う。
 
感情の吐露は(他人と比較すれば得意なほうだけど)歳を重ねるごとにしにくくなっていき、
でも腹に押し込めた感情は、
自身をさらに傷つけるか八つ当たりかの劣悪な方法しかないから、何とかして発露を試みる。
 
でも場当たり的に一回押し戻した感情は、糸口がないと出てきやしないから、
しかたないから、精神衛生上よろしくないから、
一個ずつほどいて突き詰めていくと、
その底にはかなしみがうずまいているのだと気づく。
 
たぶん人は誰でもほぼ全員、成長する過程で、
重かれ軽かれひとつやふたつ傷ついたトラウマの記憶があって、
その痛みを忘れ切れることはないから、そんな痛みはもういやだから、
似たような痛みに遭遇しそうになると
防御壁的に腹立たしい感情が沸き起こるんだと思う。
でも本当は痛くて悲しくて、
痛いのがいやで泣きたくて、
だけど大人だから、その場で泣きわめいて拗ねてジタバタするわけにはいかないから、
涼しい(般若の)顔して受け流したりするんだ。
…ああ、可哀相だね。
たぶんほんとは泣けば済むのに。
「いやだーーっ!」って喚けば気が済むのに。
 
 
だけどこんなことはつらいことでもなんでもなくて、
まだ自分のなかに答えがある分だけマシなんです。
わたしたちは大人になる階段の途中で、いろんなことを学んできてる。
近い自分、遠い自分、
親、友だち、恋人、
大人数、少人数、そして他人。
近い自分の中で見つけられる答えは容易い。
向き合うことを拒まなければ、ふたさえしなければ、いつでも探せるから。
それよりほかの場所に根っこがあることのほうが厄介だよね。
でも結局いつかは、ブーメランのように自分に
ふらっと突然、戻ってきたりするから、気をつけなくちゃね。
 
 
 
…とまあ、恰好つけて書いてみたけど、
ちょっと前に怒り爆発なことがあったんですぅ。
でももう大丈夫。ちゃんと自分と落し前つけたからね。