脱皮と晴れ着のネクストステージ

ウエディングネイルは目出たさを表すようにゴールドで。
アクセントは靴を意識してカラフルな石をちりばめて。
 
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なんだか最近いらいらする。
他人に対して、ちっちゃいことでいらいらするのは、
忙しいからとかガードが硬くなってるからとかじゃなくて、
むしろ逆に、心のやわらかい部分がむきだしになっているからな気がする。
 
その無防備なところに、相手の油断や慢心が突き刺さる。
いらいらの根底には悲しみがある。
ちっちゃい子どもみたいに泣き叫びたい悲しみが渦巻く。
いやいやをして駄々をこねたい。
わたしを大切にして!もっと優しくして!って
大声でわめきちらして泣きたい。
大人になりたくないシンドロームの再発なのかも知れない。
大人扱いされてなんでもできると任されることに
飽き飽きで重荷で疲れてしまったのかも知れない。
 
 
たぶんでも、いちばん大事な人に「ヨシヨシ」ってされればよかった、昔は。
いまはそうじゃないとちらっと知ってる。
ヨシヨシをされても一抹の後悔やさみしさはもう一生拭いきれない。
だって大人になってしまったから。
 
 
そして引き続きうちにステイしているMkと話して気がついた。
わたし、これはいらいらでも不満でもなく
おばあちゃんと笑い話で話した「脱皮」なのかもしれない。
ひとつ皮を脱いだから硬くなっていない皮が過敏に反応して
ぴりぴり痛いのかもしれない。
それはおじいちゃんのためにキャベツを千切りして切った指みたいに
生きた血がどくどくといのちを主張するような痛さではなく、
世界をなまに感じていつかは痛くなくなって鈍くなるような痛み。
それを何度も繰り返して、
硬くなりすぎずぴりぴりもしないハイブリッドな皮膚を身につけていく。
 
 
目が回るくらいいろんなことが一気に押し寄せてきているように感じるのは、
これまで一年間目を伏せることで厚く硬くしてきた皮が
身の丈にあわなくて脱ぎ捨てたから。
思いがけず脱ぎ去った身ひとつは、
もう一度よけることなくいろいろな外存物とぶつかっていく。
 
川を流れ下って海にたどり着く岩はかどのとれた滑らかな石ころになる。
わたしは有機物だから潔く古い皮を脱ぎ捨てて
しなやかに次の流れも泳ぎ抜けてゆくのだ。