年初めにニューツール

いつのまにか大人になった、なんて、映画みたいにかっこよく生きてこられやしなくって、いちいち悩んだり泣いたり手放しで喜んで笑ったり、あっちにぶつかりこっちへ突っ走りして、ようやっと時間かけて大人になってきたんだけど。そうやってきたはずなのに、指とゆびのすき間から零れ落ちるように取り落としてきたものもある。
たとえばそれはポリティカルな思想。
趣味を趣味として没頭して全部忘れるほど好きなこと。
自分が起因となって生じた事項への当たり前の責任。
たとえばそれは病気や怪我や不測の事態への咄嗟の判断。
そういうものって、子どもだから、モラトリアムだから、許されて免除されてきた類いのものだった。ちゃんと理解はしていたり、それなりにゆらゆら運転ながらもやりこなしたりしてきてはいるけれど、自分が子どもの時に想像していた‘大人然とした’感じで、すべてを引き受け切れてはいないと感じる。どこかまだズルをして逃げているような。こっそり免除されて見逃されているような。
もちろん納税もしているし、労働の義務だって果たしている。選挙にもいくし、それなりに政治に関心もある。自分がやっちゃった失敗の後始末は自分でできるし、趣味とまでいえなくても‘これがすき’と言えるそれなりに充実した時間をくれるお気に入りはある。風邪やちょっとした傷はどうやって処置すればいいか知っているし、状態を冷静に分析して対応できる。
それでもまだ、どこかに不安があるというか、自分への不信があるというか。そんなのまだ‘大人ペーペー’なんだから当然じゃないか、という思いと、よくある不安症候群の不安定時期の入口にいるだけかもしれない気持ちと、打ち消すための要素と言い訳は、どれだけでも探しあてられる。だけど、そういうことが言いたいんじゃないと思う。

いまだ手に入っていないツールを得ることで、より快適になったり、さらに一段階進んだ場所へ行ける気がする。ただ、それをがむしゃらに求めるだけでは、多分人生うまくいかないし、面白くもなんともない。そのツールが便利そうなことは以前から‘大人センパイ’たちが使っているのを見ていて知っているんだけど、たぶん今までははそんなに欲しくなかったんじゃないかな。過渡期だったから。いや、今だって過渡期なんだけれども。それでもやはり流れはどこかへと進んでいて、今日いるスポットは去年の今日いたスポットとはちがう。そう、だから、自分のポケットを開いて、入っていないツールが、猛烈に欲しくなっているんだと思う。そしてできれば、経験値を上げる、という従来どおりのスキル以外のやりかたで手に入れたい。新しいツールを得るためには、新しいスキルまでも必要なんだ。