なんていえば伝わるのか

変わり映えのしない毎日を、憂いながらも讃える歌があったと思うけれど、なんだか今はそれにとっても同調したい気分。いや、今だけじゃなくて、ここのところずっと、その曲ばかりを欲しているかも知れない。変わらないことは、時としてとても難しく貴重なことで、同時にとても大切なことを教えてくれる。
基本的にわたしはセンチメンタルな人間だから、ちょっとしたことにユラユラと感情をもっていかれることが自然体で好きなのだけど、別にだれかにそれを100パーセント理解してもらえるなんて思っていないし、ましてや理解してほしいなんて思ってやしない。だから、なのか、そして、なのか、他人のセンチメンタルに、しかもサブスティテュートとして巻き込まれるのはご遠慮したい。
「交通事故みたいなもの」的な言い回しって、的を射ていて伝わりやすいから使いやすいけれど、本当に交通事故に遭ったらけっこう大変なことと同じように、どんな「事故」だってその本来の意味で大変だ。そういうものに、まずはぶつからないように、次はぶつかりそうになっても避けられるように、次の次はせめて軽傷で済むように、気をつける、気をつけられることが大人になるということだと思う。…思うんだけどな。。

何かの中でだれかが言わされていた台詞だと思うけど、「強い人っていなくて、強くありたいと尽力し続けられる人が、強い人」みたいな言葉が印象に残っている。たぶんそのロジックは真理で、形容詞は「強い」でも「美しい」でも「正しい」でも当てはまるのだろうと思う。だったらわたしは、強くしなやかにありたいから、そのために前へ進み続けるしか、ないのです。