だれかにだれかとだれかを

突然たまたま読み返した懐かしいまんがをぱらぱらめくりながらおもったこと。子どもの頃には見えていなかったことが、ある時突然クリアになって、全体図みたいなものを俯瞰で見ることができるようになることがある。それに気づいた時には、新しい世界の見え方にワクワクして、もう一度楽しくなる。でもそれもきちんとどこかに記しておかないと、いつのまにか当たり前になって、ワクワクは消えてしまう。それはとてもさみしいことだと思った。
そんなふうに思ってきっとそうだと確信したこと。人は、見上げるように育ち慈しみ共にたくさんの時間を過ごした、大切な人がいなくなった時に、その人の影響が思っていた以上に自分に深く根づいていて、それこそが自分を形作っているものの一部だと気づくということ。ここで指す大切な人とは私にとっては母なのだけど、幼少期を慈しんでくれる人は誰にとっても親とは限らないし親だけでは決してないから、親=保護者的な意味として捉えるけれど。
私の場合は、10年前に一人暮らしを始めた時だった。始めてしばらく経った頃から、自分の口調や言い回しがひどく母に似ている、というより母そのものみたいで、ものすごくびっくりした覚えがある。ちょっと誇りに思ってみたり、おばさんくさいかもと懸念して、頭で思ったことをそのまま出さずにわざと一瞬遠回りした言い方をしてみたりした。
そして今の母を見ていると同じようなものを感じる。しかも、たぶん、無意識に、でも故意に。一昨年祖父が亡くなった時、おそらくものすごくかなしかったとは思うのだけど、母は充分にかなしむひまもないほど、残された祖母はいつのまにか老いていて、父は相変わらずのままほんの少しずつ衰退していて、その両方を叱りながらも子育てするみたいにたゆまなく支え続けていた。だから今になって、ものすごく祖父が恋しいのだと思う。「私っておじいちゃんに似てたのねー」とうれしそうに言いながら、祖母や私が困惑するような冗談を口にする。昔祖父が冗談をいう時、普段は無口でしゃべらなくてちょっと怖いのに、真顔でおかしなことをいうから、笑うこともできずに固まったことを、すごく思い出す。「冗談だよ」って言ってもらえないと笑っていいのか、本気で頷かないといけないのか、全然わからなくて居心地が悪かった。たぶん私は、昔も今もユーモアのセンスが著しく低いのだろう。わかりやすくないと困ってしまう。
冗談が通じないわたしは、いつでもいまでも全力投球。かっこわるいけどそんな自分はしかたない。愛すべき、と笑えることに自分で思うように、親が想ってくれているように、想ってくれる誰かを大切にしたい。