葬ったのに

ふとした瞬間に
暴れ出しそうになる不安を、
ただ臭いものに蓋をするように
奥へとただ押し込んできただけのような…
そんな気が時折したり、する。
 
 
ちがうんだけどね。
ちがうはずなんだけどね。
ちゃんと向き合ったし納得したし昇華した。
それでも習性的に
ときどきそのことに確信が持てなくなる。
…電車の乗り口で身綺麗にしたお姉さんに
我が物顔で押しのけられたりした瞬間に(苦笑)。
 
 
 
 
自分が自分であることの不確定性とか、
アイデンティファイすることを過度に重要視していた過去とか、
漠然とした将来への必要以上の畏怖とか、
手に入れたと思ったものが
するりとくぐり抜け落ちていたような、そんな感覚で
手持ち無沙汰に片手落ちに、
葛藤や不安で震えが止まらなかったことが
ぱしゃぱしゃとフラッシュバックする。
でもそれも過去のことなんだけど、
きっとこれこそ、
何度でも立ち止まってクリーンアップして
「大丈夫だよね?」って自分に再確認作業を
一生続けていかないといけないのかも知れない。
それこそ内田先生のおっしゃるところの“ドブさらい”的に。
 
 
 
 
話が噛み合わないことを
こないだここでも書いたけれど、
もしかしたら噛み合ってない時の原因は
わたしのほうにあるのかも知れない。
心ここに在らずで、
相手の言いたいことを引き出す相槌を
打てていないのかも知れない。
わたしには大抵いつも話したいことなんてなくて、
だから相手の話を聞くはずなのに、
聞くことすらキャパ内にないとは一体。
そんな感じで昨日は罪悪感です。
 
 
 
 
今週はいよいよ校了します。
ものすごーくホッとする。
いや、終わったところで
やらなきゃいけないことはいっぱいあるんだけど、
とりあえず否が応でも襲ってくる大物系が
ひとつ終わることはかなーりありがたい。
また次々と押し寄せそうな波が
視界の端に見えてるっちゃ見えてるんだけど、
まぁそれはそれとして
終わりがあることはよいことです。
それはいつだってどんなものだってそう。
始まりがあるから、終わる。
終わりがあるから、また始まる。